伸二ん類(しんじんるい♪)【次元の狭間】

伸二ん類(しんじんるい♪) この三次元世界で肉体を持って生きねばならない課題を背負い、それが故に 善悪正邪、優勝劣敗、序列意識、差別意識、選民思想などの二元論から解放されない悶絶の日々。 そんな次元の狭間で、何を想い、日々、今を生きたら良いのかしら? な自分への日記。

NVC:非暴力コミュニケーション

新型コロナ騒動が、人を社会を、目覚めから統合に導いてくれるかもしれないという期待をもたらせてくれる一方、
不十分な情報解釈や水準の低い寛容の無い愛が、同調圧力を背景に他人を非難し、分断を招いている。
 
そんな分断を失くし、仲介する概念、方法論としてのNVC(Non-Violent Communication)に出会いました。
コミュニケーションとは何か?
人によって構成される社会において、必須で最も重要であるけれど、理想を実現、維持するには難しいな・・・
という漠然とした悲観から、おざなりにされてしまう、コミュニケーション。
 
妥協というフラストレーションを伴う方法では無く、紛争の当事者が互いに敬意を払い解決を図ることを目指す。
何を必要としているのかをお互いにたずね、感情を荒立てることなく先入観を排除し、相手と意思疎通を図る。
 
概念を言葉にしてしまうと、当たり前のように思えてしまうが。
個人的な解釈としては、最も重要と感じたのは、一番ドロドロした感情、まずは、制御下にある自分の感情、
相手との議論、自分に向けられた非難、否定などあらゆるNegativeなものに対する感情にも
冷静に向き合うということだろう。
 
NVCの重要なプロセスは
①観察
②感情
③必要としていること
④要求
 
①は、自分のことも相手のことも、自分の判断や評価を交えずにし整理する
②は、相手を観察した時に、自分がどう感じるか? その感情を整理する
③は、②の感情が、なぜ生み出されるのか? 自分が必要としていることに対して
返ってきた藩王から、どんな感情が生み出されるのか?を明確にする。
④その上で、自分の要求、非常に具体的な形で、その要求を明確にする。
 
NVCは、この4つの情報を、言葉あるいは言葉以外の手段で、お互いに明確に表明し合う、
し合えるようにするコミュニケーションを言う。
お互いの主張の背後にある
 
 感情
 と
 必要としているもの
 
に真摯に向き合うというのが肝。
逆に言えば
”感情”と”必要としてるもの”以外のものを持ち込めば
それが争いの種になってしまうということだ。
道徳とか、何かの信条とか、それに基づく分析とか比較とか・・・
 
シンプルにこれだけに注意を払い
あとは、場を踏む、経験を積む・・・・
ケーススタディーを疑似体験する意味では、書籍は非常に効果的かと思う。
 
正直な個人的な感覚としては
自然を畏怖し、自然を基点にコミュニティーを形成している方々には
NVCは当たり前の概念のように感じた。
一方、経済社会におけるコミュニティーでは、その秩序形成、維持のためには
NVCではご法度な手法が、むしろ重要で主流なのだと痛感した。
 
インディアン社会で切々と受け継がれているウェットロッジ(小さな布製の小屋に焼けた石を入れてサウナ状態にするインディアンの癒しの儀式)。
コミュニティで紛争が起きた場合、仲介役の長老と、紛争当事者の2人、併せて3人で、ウェットロッジに籠るらしい(天外伺朗さんによる)
理性も、意識も失いかける極限の中で、3人は何も語らなくても、紛争当事者の紛争は熱気と共に蒸発する・・・らしい。
とても納得できる、お話。
コミュニケーションの究極であろう。
日常に、ウェットロッジを持ち込むのも、なかなか難しいので、NVCを知り、意識しておくことは、とても重要だと思う。
 
新型コロナが巻き起こす時代の分岐点で
人のコミュニケーションがNVCに向かうのか?
それとも従来型の経済社会維持型に向かうのか?

「進化の水準」

アミ 小さな宇宙人の3巡目。
読み直す度に、新たな発見。

”もどってきたアミ”からの発見。

いつか地球にも
そんな選択の時が来るなあ
と思ってたら
このパンテミックが、そのタイミングかも・・・と。
すぐに来た!?

 

****アミの教え****

「第一水準の世界というのはまだ生命がたんじょうしていない。
第二水準はもう生命はたんじょうしているけど、人類はまだいない。
第三水準になって、人類があらわれる。
この水準がいま、きみたちのいる世界だ」
「じゃ、第四水準ってどんなの?」
「その世界では、人類は統一されてひとつの大きな家族をつくり、宇宙の原理にそってみんなで生きていく。
でも、すべての世界がかこにいたる試練を、うまくくぐりぬけられるわけじゃない。
それをこころみるとちゅうで自滅してしまう世界も少なくないんだ」
「なんの試練?」
「第四水準に入るために、それぞれの世界の人類が乗りこえなければならない試練だよ。
あるひとたちは、その試練をくぐりぬけることができるけど、別のひとたちには、くぐりぬけられないようにできている。
それはひとつの選択であり、淘汰なんだよ」

 

***第四水準に入るには??***

あの巨大な恐竜や食肉植物がどうやって世界から消えていったのかわかる?
それはまさに人類があらわれたそのとき、つまり第二水準から第三水準にうつり変わるときだった。
理論的にはもっとつよいものが生きのびることになっている。
たしかに恐竜はいちばんつよかった。
にもかかわらず、全滅してしまった……」

「でも、どうして全滅してしまったの?いちばんつよかったのに……」

「うん。つめや牙や筋肉はつよかった。
でも、知性のほうがそれよりもすぐれているからね。
人類は肉体的にはずっと弱かったけれど、知性においてずっと勝(まさ)っていた。
つよいほうが生きのびたんだ。
いま、またおなじ過程がくりかえされるよ。
こんどは、筋肉よりも、知性よりもつよいものが生きのびるよ」

「えっ、それって、なに?」

「精神の力(霊力)さ。愛だよ。
それ以外はみな恐竜とおなじような運命をたどる。
平和を求める力が一体となったとき、それはきみたちの世界でもっとも堅固な力となるんだ。
これはたんに、きみたちの文明を絶滅から防ぎうる力がほかにないからにすぎない。

***

 

アミが一貫して伝えているのは
この宇宙を支配する唯一の法則 ”愛”

”愛”とは、ほんとになんぞや?
この宇宙では、どんな悪人ですら、愛を持っている
愛の支配下にある と説いている。
ただ、そこには、レベルがある。
そのレベルを決定づけるものが ”執着”
大事な個人、グループ、イデオロギー、宗教などなど、
それらへの執着が、分裂や争いを生み出すと。
本当の”愛”を知るための、進化の水準の違い。
それが、この地上の混沌を生み出している!?

アミが発した、下記のことば。
このパンデミックの破滅から、逃れる術は
これなのかしらな??

「ある世界が、その破滅から救われるための、唯一の力が愛であると
認識した時に、はじめてその世界は生き延びることができる。
文明の基本としての愛を認識できないでいる限り、その惑星は
常に滅亡の危機にさらされるんだ。
だってライバル意識や混乱が消えないからね。それがいま、
きみたちの惑星で起きていることなんだ」

不要不急の外出自粛の中で
多くの人たちが、アミでも読んでくれて
すこしでも、この惑星のこと考えたら
あたらしい一歩を、みんなで踏み出せるかもね~

生命力とは何か?

もし万が一、新型コロナに感染してしまったら・・・
これに想いを馳せれば、違う時間軸に移行して乗り越えられるかも。
生命力とはなにか?
ナチス強制収容所で生き延びた人々は
「自分の人生に何を求めているのか?」
と問うのをやめ
「人生は自分に何を求めているのか?」
を問うように考え方を変えていた。
ありがとうございます!

政治のための政治の終焉!? そして新しい星づくり

恐らくは
何度も時代は繰り返しているけれど・・・
政治のための政治は終焉。
そして民衆のための政治へ。
20世紀や過去世紀とは違う
21世紀は、どんな世界でありたいか?
そんな世界観が見えない、コミュニティ作り、国作り。
もちろん
大きな志をもった政治家も、たくさんいらっしゃるが
結局、主導しているのは
政治のための政治をしている方々。
そこにも
”愛”はあるのでしょう。
でも、とても、低い水準の”愛”
自分の家族とか、仲間とか、
政治献金をくれたり、選挙時に票を投じてくれる
企業や、人たち。
そこには、水準の低い”愛”が注がれてるんだと思う。
でも、その外側は?
政治家にとっての最大の恐怖は、
選挙で敗れて、ただの人になること。
そこで問われるのは、
自分の揺るがぬ信条を取るのか?
票の為なら多少の妥協は許すのか?
人の選択というものは
そこに期待を注いでる人たちから見れば
その行動で一目瞭然になる。
もちろん一切の妥協も許さないとか、
そんな単純な世の中では無い。
だから対話と、双方の寛容、慈悲が必要なのかと。
結局は、政治家も個人事業主、経営者も同じ。
自分が、その奉仕/顧客対象に価値を与えられ無くなれば
その座にはいられない。
政治家に高い給与を許し、こんな緊急事態でも
政治家のみなさんの自身の生活をまずは確保して安全な状態にして
そしてその環境下で民衆のために全力を出して頂く。
そのためのシステムと個人的には解釈して
納税義務も果たしている。
もし政治家が、そこにあぐらをかき
こんな時だからこそ
自分たちの最低限の利権確保に走るなら
魂に大きなカルマを背負い、
そして歴史に、その汚名を記すでしょう。
そのカルマ解消に、自身だけでは無く
その子孫まで、駆り出されることになる。
ただ、そんな存在達が、多くの民が期待する
新たなリーダーや政治家たちの育む役割をしているのかもしれない。
かの国の首相は、
岸●介、その上流から続く、かなり深いカルマの中で生まれ
今の地位にいると思う。
自分が、その立ち位置なら、正直正直
かなりきつい・・・
もし、そのカルマを少しでも浄化させようと思うなら。
おそらく、あべしも
本当は、そういう良心というか、こころは
持っていたのでは?と勝手に思っている。
だから第一次政権末期、その良心が故に
現実のギャップで、おなかポンポン痛くなって
カラダを崩壊させたのでは?と。
細かいことを言えば、きりがないが大局として・・・
本当は、そこから
真の民に目を向ければ良かったのに
逆に、行ってしまった・・・
これも、ご本人の自由な選択。
問題は、その選択からもたらされる
社会への混乱、混沌・・・・
おいらは、そこに投票していないし!
と叫んだところで・・・・
翻って
自分の中にある
純粋に理想的な人生。
そんなのは無理だ・・・という
小さな、時に大きな妥協の繰り返しの結果が現在。
自分の中にすらある、そんな矛盾の行き着く先が
この現実社会なのだ とうことに気づいて、向き合わねば。
この政権は、新型コロナ以上に
死亡率が高いかもしれない。
大なり小なりではあるけれど、
でも毒性は高いのでは?と。
ただ、その毒は、一体、なにに対する毒なのだ?
ということに目を向けるべきかも。
地球が、地球のために、このウィルスをきっかけに
地球上にある経済至上主義という毒素に、
地球自身の免疫力で挑んでいるとしたら?
そんなことに気付き始めた方々が
徐々にマジョリティに向かう、そんな時代。
今日も、地球に愛が降り注ぎますように。
ありがとうございます!

反省と慈悲 

先週末の勇者の集いに誘って頂いてから
ずっと自分の中で、響き続けている言葉
”慈悲”
ことばで、わかっていても
それが何たるかをしっていても
自分の中に本当に”慈悲”があるのか?
それは着実に育まれているのか?は
まったく別の話。
そこに苦悩というか、歯がゆさがある。
 
5巡目、空海を読み切って
改めて、心に刺さったのは
”慈悲を育むためには反省が必須”ということ。
 
********
日々の終わりに、わずかな反省をするだけで
心が安らぐ。
日々、反省しないから
人を憎み、人を恨み、
人を妬むという想念で
心を曇らせ
人は苦しみ、悩む
 
ただ反省するだけで
人を憎み、人を恨み、
人を妬むという想念は希薄になり
心が安らぎ
安らぎの心は
愛を芽生えさせ育む
 
反省は、慈悲の心を
芽生えさせ、育む
********
 
ここから先は
まだ、自分で自分なりに
解釈していくしかない。
愛と慈悲の関係性。
愛は、宇宙そのものであり、エネルギーであるが
ふだん口にする”愛”は、レベルがあり、
水準の低い”愛”は結局、争いの種になり、
ゆえに、真の愛では無いかと。
”慈悲”が、自分にとって難しい領域にあるのは
一切の線引きが無いこと。
対象が誰であれ何であれ、無償の・・・・
 
遠いとおい道のりだけれども
その起点は、”反省”であると
改めて感じた。
 
ありがとうございます。
 

愛の度数 ~愛にはレベルがある~

もどってきたアミ
から改めて学んだこと
 
どんなに悪いと思える人たちにも悪意はない・・・
そこにも愛はある
愛の度数の違い
 
愛の度数を下げるもの
それは執着
 
度数の低い愛には
執着があり
そして執着が、争いを生み出す種となる
 
まさにこの宇宙(? 三次元宇宙かしらな?)の
あるある
な。
 
だから
無償の愛
なる表現があるのでしょう。
 
「エゴイズムを放棄するか? 自滅するか?」って一説がある。
 
さて、どう受け止める?
 
無償の愛の域まで辿り着けねば
結局、同じ穴のむじなってことで。
ガツンときました。
 
世界を見る目が変わる・・・
 
ありがとうございます!

【平和への妄想④】 アスワンシーズ

えと

20年前に、作りました。

わたくしの会社。

アスワンシーズ・ラボラトリー。

アス=明日

ワン=1

シーズは、そのまま種。

 

明日、一番になる種を生み出すラボ。

 

わたくしは

種は作れますが

育てられないという(笑)

 

なので

とりあえず

蒔くので

あとは

宜しくお願い致します!

 

そしたら

なんか

ガンダム

SEEDとか言っちゃうし。

実際見てみたら

種飛ばしてるし。

シンクロしてるんですね。

この世の中。

捨てたものではないと思いますー